漫画のジェンダーバイアスとドイツの漫画事情について

復活祭ですね。
ベルリンもいよいよ過ごしやすい季節になってきました!

さて最近、漫画家の楠本まき先生が
「ジェンダーバイアスのかかった漫画は滅びればいい」と語った記事を読み
少女漫画というジャンルについていろいろ考える機会になったので、
今日は漫画のジェンダーバイアスと、ドイツでの捉えられ方について
私見を述べたいと思います(`・ω・´)。

楠本先生は、多くの少女漫画作家が未だに
ジェンダーステレオタイプ(例:女子力の高い子が最終的にハッピーエンドを迎える)を
散りばめた作品を産み出し、それが読者の意識に刷り込まれて
それを読んだ子たちがまた同じような作品を作ることとに警鐘を鳴らし、
負の再生産を断ち切ろう!とい提案をされているんですね。
(というのが私の解釈ですが、間違っていたらスミマセン)

私もこれまでに何作品か少女漫画を訳してきて
「こんな奥ゆかしい主人公、ドイツ女子の共感を得られるものなのかなァ」
なんて懐疑的に思いながら作業していたこともあります。

ただ、私の子供時代の例を挙げますと、
女子だから少女漫画にしか触れていないわけではなく
「りぼん」を毎月おばあちゃんに買ってもらいながらも
沢山少年漫画も読んできているのですよ。
シティーハンターとか、ドラゴンボールとか、幽遊白書とか(年齢がバレますね^^;)。

そして将来漫画家を目指す子たちの多くも
漫画が好きなら、いわゆる「ステレオタイプな少女漫画」だけではなく
いろんな漫画を読んで育っているのではないかと思います。

それでも将来「ステレオタイプな少女漫画」を描くのであれば、
それはジェンダーバイアスのかかった作品にどっぷり浸かってきたからというより
「色々読んでみたけど、やっぱり胸キュンする古典的な少女漫画が好きだし描きたい!」
というアツい少女漫画愛によるものではないかと感じるのですよ。

ハーレクイン小説なんかもそうですが、少女漫画を
「恋愛」「ハッピーエンド」「女子力を高める努力」
といったある種の条件を満たす作品と定義し、
「枠」や「ジャンル」として捉えれば納得できる気がします。

ドイツの漫画出版社は、日本の漫画をジャンル分けする際
少年漫画を「Shonen」少女漫画を「Shojo」と呼んでいますが
少女漫画をMädchenmangaと呼ぶことは、私の知る限りほぼありません。
(私も人前で話すときは、ウッカリMädchenmangaと言わないようにしています)

ドイツにおける「Shojo」は、少女らが読むから「Shojo」なのではなく
登場人物の感情を丁寧に描写し、日本の少女漫画古来の手法に則った
「ロマンスストーリー」であり、
これはあくまでもひとつのジャンルですよ、という風に私には受け取れるんですね。

そう考えると、読者数が減っても、多少時代にそぐわなくても
そういうジャンルの漫画があって良いと私は思うのですよ。
時代劇の女性登場人物が男性の三歩後ろを歩いているからといって
男女差別だとクレームをつけるのはナンセンスですしね^^;)

と言いつつも、どれもこれも似たような少女漫画を見ていると
「ジェンダーバイアスのかかった作品は滅びればよい」という
楠本先生に賛同できる点もあります。
私自身、りぼんで一番好きだった作品は

「有閑倶楽部」
「ちびまる子ちゃん」
「お父さんは心配性」

でしたからね…。
どれも王道ではなく、むしろ変わり種ですよね^^;)
今の時代「有閑倶楽部」くらいゴージャスで
スケールの大きな作品を描ける少女漫画作家さんてどれくらいいるのでしょうね。

令和の時代に、Shojo(あえて「少女」とは書きません)界に
いろんな作品を吸収してきた
次世代のハイパー革命児が現れることを期待します。
(そして、そんな作品を訳せる日を楽しみに待っております!)